2日は年賀状の返事を投函。
コロナ禍で黙食が叫ばれたが、
前向きに考え、食材への感謝の気持ちを持つ意味では基本か。
アフターコロナを見据えて、
新しい価値観、判断基準を大切にしていきたい。
<静かに、味わう コロナで変わる食>(上)前向きな黙食:東京新聞 TOKYO Web
実は八百年も前から、黙食(もくじき)が日常になっている場所がある。
禅宗の一派で、道元が開いた曹洞宗の大本山永平寺(福井県)。曹洞宗では一日三度の食事の際、かむ音を立てることさえ慎む。坐禅(ざぜん)を組み、一口ごとに箸や匙(さじ)を置いて食材を丁寧に味わう。食事は「食べる作法に集中する」修行なのだ。
西田正法副監院(67)は、「食べるとは命のやりとり。謙虚な姿勢で向き合うべきだ」と言う。その向き合い方こそが、食前に唱える「五観(ごかん)の偈(げ)」だ。頂く命に思いをはせて感謝し、自らが食に値するかを省みる。そして、食べてつないだ命をより良く使うことを誓うのだ。
「多くの日本人は食をむさぼっていないか」と西田副監院は問う。「食べ方は生き方」といい、食欲に振り回されることなく食べることができれば、生き方も欲にとらわれなくなる。せっかく黙って食べるならと提案するのは、器を両手で目の高さまで上げて食べる曹洞宗の作法(擎鉢(けいはつ))に基づく食べ方だ。「命を頂く」意識を持てるようになるという。謙虚な姿勢で、一つ一つの食材が持つ味を感じ取ることができれば、人との関わり方も変わる。「一人一人の個性を受けとめられるようになるんです」