coffeebreak2’s blog

おいしいコーヒーとの出会いを楽しみに、晴耕雨読と自転車走行日記

「水滸伝」-自分で考え決める行動

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晴耕雨読、梅雨時は読書に限りますね。

北方謙三の「水滸伝」は読みごたえがあり、スケールが大きいので、コロナ禍での新しい行動様式を考えるためのヒントになります。

2ケ月前、臨時休校が続いたころの中日新聞の社説、今でも心の支えとなるほどインパクトのある記事があります。特に、絵本作家の五味太郎さんは著作「じょうぶな頭とかしこい体になるために」の引用はインパクトがありました。第2波も心配な昨今、再度読み直したくなります。

 https://www.chunichi.co.jp/article/6003?rct=editorial

       自分の足で立ってみる 週のはじめに考える

                     中日新聞 社説 2020年5月17日

 新型コロナウイルス感染症で、休校が続き日常に戻れない子どもたちはまだたくさんいます。

 我慢の日々が続きますが、あえて「学校に行けない時間」を「学校から解放された時間」とプラスにとらえてみます。

 もちろん、学びやは子どもたちの育ちには欠かせない存在です。早く日常が戻り登校して友達と会ったり、学んだり、さまざまな行事や給食を楽しみたい。そう思う子どもたちは多いでしょう。受験生ならなおさら学びの機会が失われる不安を抱えています。

 大人は知恵を絞って学ぶ場を確保せねばなりません。

「丈夫な頭と賢い体」

 一方で、ふだん子どもたちは学校に通い、習い事や宿題など大人が決めた時間割に追われ多忙です。休校で時間を自由に使える体験は「自分で考える力」を養う貴重な機会になるのではないか。

 絵本作家の五味太郎さんは著作「じょうぶな頭とかしこい体になるために」でこんな指摘をしています。

 「大人の言うことは素直に聞いて、決められたことはきちんと守り、出された問題にはうまく答え、与えられた仕事はだまってやる。決してさぼったり、ごまかしたりはしない」子どもは「かしこい頭とじょうぶな体」の子どもだと言います。

 学校や社会が育てている子ども像のような気がします。

 五味さんが育ってほしいと考える子どもは「じょうぶな頭とかしこい体」の子です。

 「言われたことの意味をたしかめ、決められたことの内容を考え、必要があれば問題をとき、自分のために楽しい仕事をさがし出し、やるときはやるし、さぼりたいときはすぐさぼる」ことができる子どもです。

 つまり、自分で疑問を持ち考え、判断して実行する。体が疲れたりしたら、そう判断してさぼれる柔軟さもある。

「自ら考える」機会に

 自分の足でしっかり立って周りの様子をよく見て考えられる自立力。そんな人でしょうか。

 しかも、こうした素養を身に付けるための機会は日本の社会には「驚くほど不足している」と五味さんは指摘します。

 近代の公教育は、みんなが同じカリキュラムを同じ年齢の子どもたちが同じペースで学ぶ仕組みです。均質な人材を育て近代化や高度成長期の工業化社会を支えてきました。

 そのためにみんな同じの横並びが求められます。しかも学校のルールは大人が決めている。子どもたちの考えをうまく生かす仕組みにはなっていません。

 そこから解放されているのが今なのです。もともと持っていた疑問を調べてみたり、本当に学びたいこと、興味のあることなどをやってみたりするチャンスではないでしょうか。

 自分で考え決める行動は、人から言われたことをやるより実はたいへんです。責任も問われます。何をしようかすぐ明快な答えが見つかるとも限りません。もやもやとか、ふわふわした感触しか残らないかもしれない。それでもいいのです。自分の足で立ってみようとする気持ち自体が大切です。

 今は、その意識を社会にも向けてみてください。

 コロナ禍で不安と恐怖が広がっています。感染者をバッシングしたり、営業する店舗を批判したりして人が人を傷つけています。

 深刻なのが医療現場で治療に取り組む人たちへの偏見や差別です。「医療従事者に感謝すべきだ」と誰もが思います。

 ところが理屈はそう理解しても「自分のそばには来てほしくない」とも思ってしまう心もあります。この壁を乗り越えねば人と人との心の亀裂が広がってしまいます。でも、その克服は大人でも難しい。

 英語で「エンパシー」という言葉があります。自分がその人の立場に立ち気持ちや価値観を想像する「能力」を指すようです。身に付ければ違う意見の人も理解できる。困難な立場や同じ意見の人に思いを寄せる「感情」を指す「シンパシー」より幅広く他人を受け入れられる力です。誰もがそうできたらと思わずにいられません。

他人の靴履いてみる

 でも、具体的にどう考えれば実践できるのでしょうか。英国在住の保育士でライターのブレイディみかこさんが、息子さんの中学生活を描いた著書「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」で紹介しています。

 移民差別や貧富の差が存在する現地の公立中学に通う息子さんは試験で「エンパシーとは何か」と問われてこう答えました。

 「自分で誰かの靴を履いてみること」

 なるほど。想像力を働かせてみましょう。